ひうい譚

「あなたのキスはdurational? それともpunctual?」

新年のあいさつと「ときんときん」の謎

皆さま、あけましておめでとうございます。(2019/3/2)

3月になってからあけましてもクソもないと思いますが新年からそれなりにバタバタしまして、新年初の記事の投稿がこのタイミングになりました。どうバタバタしたかというと1月上旬は年始でバタバタして残りの1月と2月中旬まではテスト勉強テストレポートでバタバタし、2月中旬は東京旅行、下旬は兵庫の方の友達の家で泊り呑み会などでバタバタしておりました。

ちなみに単位も取れ、進級もできたので今年ものんきにブログをやっても許される身分となりましたことをお知らせします。

 

さて、新年のあいさつはこれで良しとして、aikoのアルバム「夏服」には「アスパラ」という曲が収録されています(唐突)

ポップな感じでありながら聴くと「kっっ!......(軟口蓋で破裂している)」となるタイプの失恋ソングで、冒頭の

「あの子の前を上手に通る癖覚えたのはもうずいぶん前のこと 長いなあ」

「あなたの視線追うと必ずいるあの子の前を通り過ぎてることであたしに気づいてほしくて」

という部分ですでに自分の中のエモーショナルメーター(「エモみメーター」とも言う)を振り切らせてくる、そういった曲です。

自分の中でかなり好きな部類に入る曲なんですが、今回はこの曲の一節から小学校時代にまで思いを馳せてしまった結果生まれてきた話を書き残しておきたいと思います。

問題の一節はこちら

「折れた鉛筆の先はどこへ飛んでいくのだろう」

「あなたにあてた手紙 いつも渡せないまま」

これは2番のAメロの冒頭の部分の歌詞です。一見何の問題もないように見えます。まあ適当な解釈をあてるとすれば「好きな人に書いた手紙ははずかしくて渡せない」「その書いている最中に折れた鉛筆の芯には何の意味があったのだろう」みたいな感じになるんでしょうか。

それは良いとして、今回はこの歌詞を読解していきたいわけではないのです。皆さまの思う通りこの歌詞には何の問題もないのです。歌詞には。もし問題があるとすればこの私の頭の方でして、この歌詞を聴いたとき、私は現在の自分と過去の記憶をつなぎとめている「蜘蛛の糸」に登場する蜘蛛の糸よりも細い線をまさにカンダタのように手繰り寄せるほかなくなったのです。

そしてその結果たどりついた言葉がタイトルに記した通りの「ときんときん」なのであります。

 

さて、どういうことか。

今回の話の焦点は「鉛筆の先」にあります。

このブログの読者のなかで鉛筆を日常的に使う人は少ないのではないのでしょうか。美大生芸大生などではない限り中学生以上の学生ならばだいたいはシャーペンを使っているだろうし、もし大学生でないとすれば、大体の社会人の皆さまはなにか書くときボールペンを使うでしょう。我々が日常的に鉛筆を使うのは主に小学生の時なのです。

さて、ここからは皆さまにも一緒にご想像していただきたいのですが、まず自分の脳内で小学生になってください。そして当時の自分の教室のなかにその自分を設置してください。視点はFPS視点(教室の中にいる自分の目線)でけっこうです。教室の時間帯は指定しません。教室には一応誰もいないものと仮定します。あなたは自分の手に先が丸くなった鉛筆を持っています。そしていつもの場所にクラス共用の鉛筆削りがあります。その鉛筆削りで鉛筆を削ってください。削り終わったら、その鉛筆の先をしげしげと見つめてください。とがっていて書きやすそうになってますよね。

さあこの状態の鉛筆をあなたはなんと表現する!?!?

この状態の鉛筆をあなたは言葉でどう表現する!?!?

 鉛筆がとがっている状態」をなんといいますか!?

今回の議論の的はここなのであります。鉛筆がとがっている状態に、私(小学生時代の1~4年生までを大阪で過ごし、残りを名古屋で過ごした)の場合は「ピンピン」という言葉を使っていました。「ピンピンやから書きやすいわ」「この鉛筆ピンピンちゃうやん」みたいな。

ここまで読んで違和感を感じる方が多いであろうことは承知しています。「ピンピンは聞いたことない」「ピンピンて何?」「そもそもとがった鉛筆を表現する言葉なんか知らない」などの疑問を抱く人も多いでしょう。

なぜならこれ、地域差があるからなんです!!!

そして私がその地域差に気づいたのは小学校4年、名古屋に引っ越した時でした。そして名古屋の人たちは鉛筆がとがっている状態のことをこう言う。

「これときんときんじゃない」

「とっきんにして」

私も最初は何度か聞きました。「とっきんて何?」そしてそれが大阪で言う(というか私の住んでいた地域で言う)「ピンピン」にあたる言葉だと気づくのにそう時間はかかりませんでした。これを知らない私が「ときんときん」「とっきん」から連想するのは、辛うじて少女漫画などで用いられる心臓の音くらいでしょうか。でもそれも「ドキン!」や「トクン...」のレベルの話であって、完全一致とはいかなようです。「風早くん...!」(トクン...)は想像できても「風早君...!」(とっきん)はちょっと想像できない。「あの洸がいる...」(ドキンドキン)は想像できても「あの洸がいる...」(ときんときん)はちょっと変でしょう。

 

大阪の「ピンピン」は名古屋の「ときんときん(とっきん)」なのです。

さらに「ときんときん」は単体で「ときん」とは言わないらしく、「ときんときん」よりも「とっきん」の方がとがっている度合いが高く感じるらしいです。「ときんときん」の二回繰り返さないver.が「とっきん」かと思いましたが度合いが変わるとなればそう簡単な話ではなさそうです。なぜ大阪の人々は「ピンピン」、名古屋の人は「ときんときん(とっきん)」というのか、なぜ両方とも二回繰り返す形をとるのか、なぜ名古屋の場合は鋭さの度合いを分けることまでできるのか、謎は深まるばかりです。

実はこれネットで検索してみると知恵袋も出てきて、こんなサイトも出てくるくらい有名なもので、やはり同じように疑問に感じる人が多いようです。とにかく、今回のブログにオチはないのですが、皆さま想像してほしいのです。自分が鉛筆のとがっている状態をなんと言っていたか。そしてできればどのように私と違うのか考えてみてほしいのです。そして日本語学をやっている人はこれを研究しろ!

 

ちなみに「あなたの視線追うと必ずいるあの子の前を通り過ぎてることであたしに気づいてほしくてって歌詞、エモくね!?」とサディスティックなクラスの女子に話したら「無理じゃね?わら」みたいな返答が帰ってきて虚無になった。