ひうい譚

「あなたのキスはdurational? それともpunctual?」

身近に本物の変態がいた話

人間誰もが「変態」であるかどうかということの真偽はおいておくとして、大学生になると、「変態」とよばれる人間がまわりからいなくなった。「変態」というレッテルを貼られる人々の数が少なくなった、ような気がする、ということである。

思えば小学生の頃は、やたらめったらすぐに「変態」というレッテル貼りが行われていたように思う。どういうことかというと、例えば日常的に一人の男子が「おっぱいおっぱい」言っていれば、すぐにその男子は周りの男の子女の子双方から「変態」扱いを受ける、「変態」と呼ばれてしまう、といった状況だったということだ。また、スカートめくりをよくやる男子がいたとしたら、それもまた「変態」であった。つまり、小学生時代はこの「変態」というレッテルを安易に獲得することが可能な時代だったのである。「変態」になるためのハードルが低かった。

さて、時は流れて大学生になると、なるほど状況は小学校の頃から大きく変わっている。まわりに「変態」と呼ばれる人間が、小学生の時ほど目立たない。「お前アホやなぁ」と言われることはあっても、「お前変態やな」とは、あまり言われない。なぜなら、年を経るにつれて「変態」のハードルが著しく上がったからである。小学生の時は「おっぱい」と言ってれば「変態」だったが、大学生が「おっぱい」と言う時、それを「変態」とみなしてもらえるだろうか。おそらく答えはNOである。なぜなら、まわりも相応に「おっぱい」と口に出すからである。小学生の時は日常的に「おっぱい」と言う人数が少なかった上に、「おっぱい」というその言葉の響きだけで「変態」さを感じられていたのである。しかし、大学ではそうはいかない。極端に言うと、まわりの人々はみなそれなりに「おっぱい」と日常的に言っているし、「おっぱい」という単語そのものから感じられていた「変態」さというのは遠い昔に消失してしまっているからである。スカートめくりの例を考えてみると、逆にこちらは口に出すという行為よりもよりアクティブな感じがして、その行為自体の「変態」さは増しているように思うが、これを大学生がやると高い確率で警察のご用になる。大学でスカートめくりが行われないのだから、スカートめくりによる「変態」レッテル貼りは発生しないため、この方法で「変態」になるのは無理ということになる。

まとめると、大学で「変態」というレッテルを獲得するには、「おっぱい」のような例では力不足であり、しかし「スカートめくり」では行き過ぎであるため、その間をゆく、針の穴を通すような度合いの「変態」さが必要なのである。そしてその範囲はとてつもなく狭い。50yd付近からアメリカンフットボールフィールドのHポールをとらえるよりも、果てしなく狭い。

そういえば、大学に入って初めて「お?これは少し変態では?」と疑えるエピソードが一応ある。大学1回生の頃、たまたま友達と話している時、「彼女にするなら看護系の学部に通う女子か、保育系の学部に通う女子か」という話題になったことがあった。ちなみに普通の男子大学生は、日常会話の95%が女の子の話なのでその点は注意しておいてほしい。さて、その時にちょうどぱっくりと票が割れて、(のちにtwitterでもアンケートを取ったのだが)なかなかおもしろい議論になったのだが、その時に一人の友達が言った一言に「変態」みを感じた。その発言は以下のようなもので

「決め難いけど俺は保育やな。なぜなら赤ちゃん語ができる!!!」

これはなかなか良い線いっている。このブログは知的な大学生ひういによって書かれているので、なぜ彼は赤ちゃん語を欲するのか、いつ赤ちゃん語を使ってほしいのかなどという議論はしない。つまりそういうことである。なかなかに良い「変態」さを帯びた発言であった。

しかし、大学生になって、「なるほど、これが本物の変態か」と思ったのは、もう少し後のことである。赤ちゃん語も確かに「変態」っぽくはあったが、力不足感が否めない。しっかりと「変態」認定するには何か足りない部分があるのである。しかし、これから紹介するエピソードには、聞いた瞬間に「あ、こいつは変態なんだな」と思わせるパワーがある。

あれは大学2回生の頃だったと思う。その時は自分と、もう一人の友達の男という二人で話していた。この男というのがなかなかの曲者で、このほかにも様々な狂気エピソードがあるのだが、その話はまた別の機会にとっておく。その時の話題は「背が低い女子か背が高い女子どちらがいいか」である。案の定こんな話しかしていない。さて、ひういの身長は168cmである。従って、「カップルは男の方が背が高い」というステレオタイプ的に考えると、168cmしかない自分が好きな女の子は基本的に背が低い方に分類されるということはお分かりいただけるだろうか。なのでその時私は、「自分の背が168cmしかないので、どちらかというと背が低い女の子の方が好みかもしれない」というようなことを言った。たぶん背が高くてもすごく好みな女の子は現れると思うので、要するにこの発言はテキトー、いい加減なものなのであるがそれに対して彼(175cmくらいあるかもしれない)は「俺も昔は背が低い女の子が好きだったんだけど、最近背が高い女子がいいなと思うようになった」と言った。特に何か深く考えることもなく、私は理由を尋ねた。すると彼は

「背が高いとさ、体の表面積が増えるんだよね。それが良い」

と言ったのである。これは「変態」である。「大学生としての変態」という高いハードルを優に飛び越え、かつ行き過ぎない、正真正銘の「変態」だ。身長差をこれほど「変態」に捉えた人物はいまだかつていない。昔、twitterで、「キスの時の理想の身長差」みたいなイラストなんかがRTされてきた。「年上高身長彼女のいいところ」みたいなイラストもよくあっただろう。しかし、どの場合でも、「高身長な女性のいいところ」に「体の表面積が広いのもポイント☆」とは書かれていない。誰もそんな見方をしないからである。そしてそんな見方をもっている奴がいるのであれば、それは紛れもない「変態」なのである。このブログは知的な大学生ひういによって書かれているので、彼がどのような場面でその「表面積の広さ」を求めるのかなどは、ここでは論じない。つまりそういうことなので。とにかく、この発言はこの男に「変態」のレッテルを貼るのに十分なものだった。おめでとう、そしてありがとう。

大学生は小学生の「おっぱい」レベルの適当な「変態」を連発して、脳のないウェイ系になってはいけない。かといって警察に出頭せねばならなくなるような行き過ぎた「変態」は禁ぜよ。今回登場した彼のように、針の穴を通すような絶妙なコントロールをみせる「変態」こそが、知的な大学生ということなのではないだろうか。

究極の選択の解答が出た

800 wordsほどのそれなりに大きな英文エッセイを書き上げると、そのはずみからか反射的にこのブログにもなにか投稿したくなり久々に筆をとることにした。筆をとるとかカッコイイ言い方をしているものの実際はくだらない話を書き連ねていくだけのもので、今回は特につまらないのでその点にを覚悟していただきたい。

今回の議題は「カレー味のう○ことう○こ味のカレー選ぶならどっち」だ。このような下品かつ低レベルにみえる話に、男女ともにぜひ最後までついてきていただきたい。なぜなら、これについて自分の考えが180度変わる体験をしたので、是非ともその瞬間をシェアしたいからだ。

まず、この記事を読み進める前に、自分の中でこの質問の答えを思い浮かべておいてほしい。つまり、あなたはどちらか食べないといけない時、カレー味のう○こか、う○こ味のカレーか、どちらを食べるかということである。事をクリアにするために条件を加えておくと以下のようになる。

カレー味のう○こ

  • におい、味がカレー。
  • 見た目はう○こ。今回はバナナ型とする。
  • フォークとナイフを用いて食べるとする。
  • 食べる量は小さじスプーン程度。
  • 10回噛むこと。
  • 飲み込むまで飲み物の摂取は不可。
  • これによる人体への悪影響は一切ないものとする。
  • 場所は誰もいない森の中とする。

う○こ味のカレー

  • におい、味がう○こ。想像にまかせる。
  • 見た目はカレー。今回は松屋のカレーの見た目とする。松屋には何の恨みもないことをここに明記しておく。
  • 皿の上のカレーをスプーンですくって食べることとする。
  • 食べる量は小さじスプーン程度。
  • 10回噛むこと。
  • 飲み込むまで飲み物の摂取は不可。
  • これによる人体への悪影響は一切ないものとする。
  • 場所は誰もいない森の中とする。

以上が条件である。こういう話をすると、実際にどちらか食うわけでもないのにやたらと「え、こっちはどんくらい食べなあかんの?飲み物あり?見た目はどんなん?」とか聞いてくるやつがいるのでできるだけ状況が分かりやすくなるように整理してみた。

さて、この上であなたはどちらを選ぶのか、頭の中で答えを思い浮かべてもらった上で次に進む。

 

常々、私はこの問いに対して「カレー味のう○こ」と解答してきた。なぜか。単純に味を重視しているからである。たとえそれがう○こであろうと、味がカレーなら、もうそれでいいじゃないかと。だって見た目がどれだけう○こでも食べたらカレー味なんですよ。おいしい。特に問題ない。たしかに見た目のせいで食欲減退するかもしれないが、においがしっかりう○この方が絶対に食べたくなくなるでしょう。一度口に入れればそれはカレー味。そのカレー味のするう○こを舌の上で雲のようなやさしさでそっとぎゅと抱きしめたい所存である。

しかしこの持論が木端微塵になる事態が起きた。今年の2月に東京に旅行した時のことである。私が東京に出向く理由の8割は、アメリカに住んでいたころの友達に会うためである。帰国子女は予備校生活を終えると、それぞれ四方八方に散って生活する。といいつつも、だいたいは東京の大学に行っているので、関西の私は東京に行けばとにかくたくさんの旧友に会えるのである。そして、その友達の中の一人が暇つぶしもかねて聞いてきたのがこの質問なのである。

その時、私はいつものように「カレー味のう○こ」と答えた。もちろんその理由もしっかり説明した。なぜか私は自分の持論に少し自信すら持ち始めていた。

しかし、その友達は「う○こ味のカレー」を選択すると言った。私は自分の説明を100%信頼しているので、相手の理由を尋ねることすらためらった。自分は何を言われても揺らがないと思っていたからである。しかし、彼は私に続けて言った。

「お前が食べているものは、う○こなんだよ」

一瞬こめかみに静電気が走ったような感覚に陥ったが、それがどうした、と少し強気に返答してみると、彼は今度こそ私の持論を切り崩しにかかってきた様子で説明を始めた。

「いくらお前が食べてるのがカレー味で、どれだけおいしくても、それはう○こなんだよね。まわりからみたら、お前はう○こ食ってんだよ。おいしいーつって。だけど俺が食ってるのはあくまでもカレーじゃん。う○こ味で最悪だけどカレーなんだよね。人としてこっちの方がいいでしょ」

間違いないと思った。今までの自分が全否定された気分だった。これほどきれいな論破を体感したのはいかにもこれが人生で初めてかもしれない。私はおいしいう○こを食べている人間なのである。どれだけおいしくても、絶品でも、それはう○こ。いくらおいしくても「これう○こだけどめちゃくちゃうまいんだよねたべてみ?」とタピオカ感覚で勧めても誰も食べてくれないだろうし、間違いなく「ひうい、ついにおかしくなったか」と思われるだけである。一方で彼は、あくまでもカレーを食べている。めちゃくちゃまずいカレーである。でもそれはカレー。どんな味であろうと、名目上はカレー。この言葉による分節のもつ力はすごい。どれだけひどくても、それがカレーという範疇に分類される限り、それはカレー。「このカレーめちゃくちゃまずいは失敗したぁ」みたいな感覚で食える。人間性を損なわない解答である。

またこのような見方もできる。カレー味のう○こを選ぶ人は自分のことを最優先する。まわりからどう見られるかを気にしない。う○こ味のカレーを選ぶ人は、逆に自分がどう思うよりもまわりからどう見られるかを重視する。ここに新しい心理テストが誕生した。

かくして私の究極の選択談義の解答はここに決定された。「カレー味のう○ことう○こ味のカレーならば、ひういはうんこ味のカレーを選ぶ。」

みなさんはどうだっただろうか。この記事を読んだ後、あなたの中に何か変化はあっただろうか。あったならこの記事を書いた意味があるなと思うしなかったらなかったでそれで良い。

やはり世の中いろいろな人に会って話す経験をするべきである。使い古された表現で「視野を広げる」というのがあるが、まさに視野が広がった瞬間である。大学というものはもしかしすると、こういう問いの解を探すために存在しているのかもしれない。それはさすがにウソ。

海外映画、吹き替えで見るか、字幕で見るか。

私の通う大学はキャンパスが3つに分かれている。そしてその3つのキャンパスを無料の阪急バス、通称「再履バス」が結んでいて、大学の生徒であればそのバスを無料で利用することができる。

3つのキャンパスというのは豊中、吹田、箕面のことであり、直通便を除いて、再履バスはいつも豊中→吹田→箕面の順でキャンパスをまわる。そして私は普段、大学へ行く時は豊中からバスに乗り、箕面で降りるのであるが、その間、約40分程度バスに揺られることになる。つまり、計算すると1日往復でだいたい80分程度はバスに揺られていることになる。

さて、バスの中というのは何をするのが正解なのだろうか。ケースはいろいろあって、座れる日もあれば立ちっぱの日もあり、ぎゅうぎゅう詰めの便もあれば、スカスカの便もある。そんな中で私がすることはだいたい3つくらいに限られてくる。音楽をきくか、本を読むか、周りの会話をきくかだ。音楽というのはaikoだのSHISHAMOだの、最近だとJudy and Maryだのを聴いている。これについては今日は詳しく書かない。これについて書きだすとまた長くなるからである。2つ目の本を読むというのはそのままの意味で、文庫本の小説を読むときもあれば、英単語長を見ているときもあり、はたまた英文を読んでいるときもある。これについても今日は書かない。書き出すと長いからである。3つ目では、わけのわからんスマホゲームの話なんかは耳に毒だが、時々興味深い会話がきこえてきて面白かったりする。。その日はこの3択の中で、私はたまたま3を選んで、ぼーっと外を眺めていたのだが、その時に聞こえてきた会話が興味深いものだったので今回はそれについて書きたい。

 

後ろの席で二人の女子大生がしゃべっている。内容は休日なにをしているか。片方の女子が洋画をよく見ると言う。

「海外の映画って、吹き替えで見る?字幕で見る?」

「私は絶対字幕だな。」

「あーまね。字幕が好きそう」

「ていうか字幕じゃないと酔うんだよね。」

「あーわかるかも。たまにいるよね吹き替えで見ると酔うから嫌っていう人。」

 

いや、わからんでしょ。

初めてきいたでしょ、

吹き替えで酔うって。

みなさんのまわりにいますか?映画吹き替えで見たら酔うっていう人。3Dだったら酔うとかじゃない。吹き替えで酔う。これ初めてきいた。聞き手の女子もなんで「あーわかるかも」なんだよ。お前も酔うのか。吹き替えで。ほんまか?

私が最近見た海外の映画といえば、つい1週間前くらいにみた「アメリ」がある。もちろん字幕で見たのだが、はたして吹き替えで見たら酔っていたのだろうか。

そういえば、海外映画を字幕で見るようになって久しい。小学生くらいまでは、テレビで映画がやっていたとしても、毎回吹き替えで見ていた気がする。小学生のうちは漢字が読めない。漢字が読めないと字幕が読めない。字幕が読めないと筋を追えないということで、もっともな理由である。ただ、その時から両親は字幕で見たがっていた。ような気がする。やっぱりその役者がそのまましゃべっているのをききたいということで、こっちもまあもっともである。そして年を経るにつれて、だんだんと自分も字幕で映画を見るようになってきた。なにより海外に滞在したので、役者のしゃべっている英語をききたいと思うからである。ただし自分のリスニング能力は十人並みで、聞き取りやすいアメリカ英語でも内容を半分も理解してるか怪しい。イギリス英語になるとそのパーセンテージはおそらく3割以下まで下落する。要するに全く聞こえないのである。パイレーツオブカリビアンのジョニーデップも、ハリーポッターのエマワトソンも、発音がカツカツというか、パキパキというか、そんな感じがしていて、耳から情報が滑り落ちる感覚になる。今でも覚えているのが、字幕なしでハリーポッターを見た時、エマワトソンが「わぁ?」というシーンがあって、何度リピートしても「わぁ?」「わぁ?」にしかきこえず、そこだけとりあえず字幕をオンにすると「Where?」だった、ということがあった。とにかくそういう意味でイギリス英語は厄介だ。そして「わぁ?」のエマワトソンは可愛い。

ただ、吹き替え映画の出番が全くなくなったかというとそうでもない。中学生の頃に訪れた空前のアニメブームによって、日本の声優について詳しくなった自分は、吹き替え映画の吹き替えが誰の声なのかを、それはそれは注意深くチェックするようになった。そして、映画がテレビでやっているときに、副音声と切り替えを行うことで、その声優の声をきいたりした。吹き替えが必要なのはこのようなケースの時である。

 

話がそれたが、結局吹き替えで酔うというのはどういうことなのだろうか。音声と映像の間に生じるわずかなギャップに人間の脳のどこかが反応しているのだとすれば、それはそれですごいことだと思う。車に乗っているときに本を読むと、目から入っている情報と車の揺れとのギャップで酔いが生まれるらしいが、映画の場合はそれが目と耳で起こっているということか。

とにかく吹き替えで酔うというのはどういうことか、分かる方がいればぜひ知らせてほしい。興味をもった方がいれば調べてほしい。

 

今回はこのへんにしておく。ちなみにアメリをみたので次にデリカテッセンを見たかったが、残念ながら自分が契約しているストリーミングサービスでは配信されていなかったため諦めた。そして我ながら今回の記事はまじめすぎた。次回はもうすこしふざけていきたいと思う。

「あれは正しくはオン眉じゃないって私はずっと前から言ってる。」

というのは、同じ英語専攻の友人(♀)が今日私に向かって吐いた言葉である。

※今回の記事を書くためには、読者に断片的なバックグラウンド知識を順番に伝えていく必要があるため話が途切れ途切れになることが予想されるがご了承いただきたい※

まずはこの友人がどんな人物なのかということから書かねばなるまい。本記事では偽名としてこの人物の名前をコクーンとする。これは今後もっといい呼び名が出てくれば変更するし、苦情が来ればその場合もまたすぐに変更するため、長続きする呼び名かどうかは分からないが、今回はコクーンで固定する。さて、このコクーンという女は私と同学年で同じゼミに所属する人物であり、実は過去にもこのブログに登場していて、記念すべき1記事目で「第5文型の中では第2文型が好きだ」と答えていたのがこのコクーンである。コクーンは普段、常人として生きているように見えるにも関わらず所々で変人に片足を踏み込んだような物言いをする女性で、それは例えばバスの中から外を眺めて「今のトラックRHて書いてあったな。ランダムハウスの略かな...」というようなことを真顔で言うというようなことである(ちなみにランダムハウスとはランダムハウス英和辞典を出版している出版社の名前だ。)

事の始まりは今日の4限。普段この木曜4限というのは空コマで、だいたいはコクーンと一緒に食堂で何か食べるわけでもなく、ただ座ってゼミ用の論文を精読するといったようなことをやっており、今日もその流れでとりあえず食堂へ足を運んだ。我々二人は諸事情あって、英語を「流し読みする」ということができない体になってしまっており、二人して馬鹿正直に辞書を引きながら今日も論文を読んでいた。ずっと読んでるとどうしてもこの妙にseriousな空気を和らげたくなって、適当に談笑が入ることがあるのだが、今日の会話の一つとしてでてきたのは「メロンソーダ」だった。

メロンソーダというのは、ラジオFM802の春のキャンペーンソングの曲名であり、つい昨日にYoutubeにてMVが公開された楽曲である。aikoが作詞作曲したメロンソーダをRadio Darlingsの歌手たちが歌い繋いでいくというもので、私は普段ラジオは聞かないが、Radio Darlingsのメンバーとしてaiko橋本絵莉子(チャットモンチー済)が登場するのでマークしていた。Radio Darlingsのメンバーなどを詳しく知りたい場合は各々で検索してほしい。

本題にもどる。どうやらコクーンもこのメロンソーダを知っていたようで、「聴こう」「今聴こう」ということになり、スマートフォンのスピーカーからメロンソーダをかけ始めたのである。メロンソーダを聴きながら、私は「サビの部分でaikoとえっちゃんが歌い繋ぐところがとにかく良き」という話をし、コクーンはいつも通り適当に聞き流していたのだが、私はaikoとえっちゃんが歌っている動画を見ながら、この二人の素晴らしい前髪を見て、不意に前髪の良さについてしゃべってしまっていた。

また脱線すると、私は好きな女性のタイプとして「前髪がある」をあげたくなるほど前髪が好きで、これについて書こうとするとプラス2000字はかかるので適当に割愛するが、私がなぜTWICEはそれなりに好きなのにBlackpinkは全く気にもかけないことの理由の一つには、曲自体の差もさることながら、前髪率の低さがある、と結論付けても問題ないと思えるほど、私は前髪を注視している。

コクーンはまたいつも通りこの私の前髪談義までも適当に聞き流すのかと思われたが、今回はそうではなかった。そしてでてきた言葉が今回のタイトルである。

「あれは正しくはオン眉じゃないって私はずっと前から言ってる。」

この文中の「あれ」とは、世の中で「オン眉」と呼ばれる前髪のこと全般を指すのだが、どうもこれに疑問を抱いているらしい。オン眉とは「主に、前髪を切りそろえる位置が眉毛より上の辺りという意味で用いられる言い方。(weblio辞書)」であり、それについては私も知っているはずだが、この「眉毛より上」というのがどうやらおかしいらしい。そして彼女が続けて放ったのがこの言葉である。

「あれはアボブ眉だから。」

この言葉には私も脱帽した。アボブ(above)眉。その通りなのである。今一度、英単語「on」の本質的意味を振り返りたい。スタディサプリのCMであの関先生も言っていた。

「onは"上に"じゃ通用しない。スタサプでは"接触"。横にくっついても"on the wall"。下にくっついても"on the ceiling"。くっついてる時にonを使うんだ。」

では、googleで「オン眉」で画像検索を改めてかけてみる。

確かにアボブ眉ばかりである。しっかり眉毛とくっついている前髪は少ない。

なるほどなと思った。発見であると思った。このブログはこのような言葉と言葉の間のの溝のようなものに挟まっている現象を鮮明に映し出す時にこそ一番輝くような気がしてならない。今回もまた言葉の溝にはさまった何かを見つけてしまったな、と思った。

そう、あれはアボブ眉だ。

ちなみにコクーン曰く、above眉は言いにくいのでそのうち音が変化するらしい。aに強勢が置かれてないので取り払われてbove前髪になり、これだといいにくいのでbav前髪になり、それで一度安定する。(要出典)bavはバブみにも絡んでくるらしく、前髪をアボブ眉にすると幼く見えることでバブみが増すということにつながるらしい。(要出典)

これからオン眉がどのような変遷をたどるのか、我々はこれからまだ見ぬ歴史が刻まれる瞬間を見ることになるのだろう。

 

以上で今回の記事は終わりにする。コクーンの説明が入ったりメロンソーダの説明が入ったりいろいろと混雑したが無事書き終えることができた。

友達の女性が「ちょっと昨日前髪切りすぎちゃって...オン眉になっちゃった...」と嘆いているときは、次からこう返そう。「それオン眉ちゃうで、アボブ眉や。」

 

アメリカでもおいしいと思えるお菓子4選

私が5年アメリカにいたということはこのブログ読者ならだいたいの方はご存知かと思う。そして今回はその時の体験をもとにいわゆる"普通の"レビュー記事を書いていきたい

さて、「東京喰種(東京グール)」というアニメ(原作は漫画)がひと昔前に放送されていた。ストーリーは適当にググってくれればわかると思うのでできるだけ省略するが、今回このブログで引用したい部分というのは、喰種化(半喰種化?)した後の主人公、金木の表現力である。少し説明を入れると、この作品には「喰種(グール)」という生き物が出現する。喰種は見た目は人間であるが、ヒトと味覚が異なっており、ヒトと同じものを食べるととてもまずく感じる。その代わりに喰種はヒトの肉をおいしいと感じるようになり、定期的に人肉を食さなければいけなくなる、というのが喰種の重要な特徴の一つだ。もともと人間であり、文学少年だった金木が、ある事故をきっかけに喰種の仲間入りを果たす。その生き方を描くというのが東京喰種のおおまかなストーリーなのである。

さて、元文学少年(喰種になってからも文学少年だったかもしれない)の金木は、喰種になって初めてヒト用のサンドイッチを食べた時、自分の豊富な語彙を生かしてその味を表現する。その時のセリフが以下のものだ。

"パンは無味無臭のスポンジみたいでレタスは鼻の奥まで青臭いしチーズなんか乳臭くて粘土みたいな食感"

これに対して、同じく喰種の女の子、トーカが「普通にまずいでいいじゃん笑」みたいなことを返すのだが、ここで唐突に本題に入ると

アメリカのお菓子はまずい。

私から言わせると

"グミ系は色が毒々しい絵具みたいでチョコレート系はう○こくさいしクッキー系なんか全部歯にニチャニチャくっつく消しカスみたいな食感"

 である。これは正直だいぶ大げさに書いた。金木君の表現に合わせようと言葉を選ぶとかなりひどくなったし、あえて引用の形で記述しても自分の語彙力の低さが露呈した形になったのは置いておくとして、とにかく日本のお菓子になれた舌をもってアメリカにいくとやはり味覚の差を感じる。一概にまずいと言えなくとも「日本では売れないだろう」と即座に分かってしまうものが多い。そういう意味でやはり日本の食べ物は"日本人"がおいしく感じるように作られている、ような気がする(コカコーラの味すらもアメリカのものは微妙に違った気がした。)

では、アメリカでもおいしく食べられるお菓子はあるのだろうか。今回は、私がアメリカに滞在した5年間の記憶を呼び起こし、どんなお菓子があったか、そしてどれを日本の舌をもつ私がおいしいと感じていたかを書いていきたい。ちなみに、あえてポテトチップス系は省いている。チップス系はアメリカでもなかなか日本との差が出にくいからである。

紹介するのは4つのお菓子だ。

Nerds

 

 

これはおいしかった。いろいろな味があるのだが、特にグレープがおいしい。あえて分類するとすれば、「アメ系」のお菓子である。いろんなパッケージで売られているが、自分が一番食べたのは小さい箱で分かれていたタイプのものだ。3*2*1くらいの箱の中にグレープ味ならグレープの、いちご味ならいちご味の、つぶつぶのアメ(?)が入っている。アメといいつつも食感はどちらかといえばラムネである。よく日本で売られているコカコーラのラベルが貼ってある円柱の容器に入ったラムネをご存じだろうか。あのラムネの粒をもう少し小さく、かつ不規則なものにしたお菓子、というと分かりやすいかもしれない。甘く、少しすっぱくておいしい。おすすめの食べ方は、箱を開けたら、その箱の中身を全部口へ流し込み、粒が小さくなるまでなめて楽しんだら、あとはガリガリとかみつぶしてパワープレイをお見舞いするやり方である。今でも時々食べたくなるなつかしの味と言っていい。

Jolly Rancher

 

海外直送Jolly Rancher Original Hard Candy 7 OZ (198g)
 

 

またアメ系で申し訳ないが、こちらのお菓子もアメリカを代表するアメである。代表してるかは知らんけど。こちらはさきほどのNerdsよりもだいぶ普通のアメに近い。小さい円柱の形をしたアメで、大きさは日本で売られているのど飴程度だ。このアメのいいところは、妙に柔らかいところである。日本のアメというのは、奥歯にはさんでぐっとかむ力を強めると、大体のものはあえなく割れてしまうと思うが、このJolly Rancherは、少しずつかむ力を強めるにつれて、歯がアメに深く食い込んでいくのがわかる、それだけ柔らかいのだ。この少しねちっとした食感のアメをぜひ試していただきたい。メインの味はグレープ、青りんご、さくらんぼ、すいかで、個人的にはグレープと青リンゴがおいしい。余談ではあるが、お菓子の味において、アメリカではすいかがかなりの人気を誇っている。日本でいうパインくらいの位置にwatermelonが食い込んでくると思っていただいて差し支えないと思われる。これが文化の差か。

Twix

 

ツイックス ファンサイズ (1袋)

ツイックス ファンサイズ (1袋)

 

 

満を持してチョコ系の登場である。こちらはおそらく日本でも見かけることがおおいであろう一品。平たい長方形のビスケットの上にキャラメルが乗っており、それをチョコレートがコーティングしている、カロリーお化けである。さきほどアメリカのチョコはう○このにおいがするといったが、主にそれはHERSHEY'Sというところから発売されているものに言えるのであって、他はそうでもない、かもしくはもっとまずいかのどちらかである。Twixの良いところは楽しい食べ方をできるところである。私はアルフォートを手に取ると、まずクッキーからチョコの部分を引きはがそうと前歯でがりがりとやるし、きのこの山を買えば、あの棒状のビスケットからチョコをはがそうとして、やっぱり前歯でがりがりやる男なので、Twixも同様、まず前歯でがりがりとやって、キャラメルとビスケットを分離させ、ビスケットだけにするのである。そして最後にビスケットだけをほおばって満足そうな顔ができるというのがこのお菓子のいいところである。オムライスのグリーンピースを先によって食べてしまう人はきっとグリーンピースが嫌いなのだろうが、私がキャラメルやチョコレートの部分を先に食べるからと言って、キャラメルやチョコレートが嫌いなわけではないということを明示しておく。ここには食べ方という明確なエンターテイメントがあるのだと思っていただきたい。

実はチョコ系にはTwix以外にも、コーヒー豆やラズベリー味のグミをチョコでコーティングしたチョコボール海外バージョンみたいなものもあるのだが名前が思い出せないため割愛する。おしゃれな味なので気になった方はぜひ検索してみていただきたい。

Life Savers

 

 

最後に紹介するのはライフセイバーだ。これはラムネ系で、見かけはフエラムネと同様のものだと考えてもらってよい。正直これは好みが分かれる。「おいしいもの」と銘打って書いているこの記事だが、これは間違いなく苦手と答える人がいてもおかしくないと感じられる代物である。この心にとっかかりを作っているのが、ミント味のにおいである。ライフセイバーにも様々な味があって、パッケージの色でそれが判断できるようになっているのだが、青やオレンジ色で多少味の違いがあるとされていても、あまりラムネベースであることに変わりはない。しかし、緑色のミント味は明らかに普通のミントと同じだと考えてはいけないにおいを放っている。言葉で表すならばそれはどう考えてもサロンパスと言わざるをえない。サロンパスのにおいを固めて固めて固形にしたものがライフセイバーの緑パッケージの味だ。一度食べると癖になるが、合わないという人がいるのも容易にうなずける、そんな味である。日本で売っていたとしたら定期的に買うのは間違いないので、ぜひ売り出してほしい。フリスクミンティアなどの比ではない。これはミントの革命である。

まとめ

以上がアメリカでもおいしいと思えるお菓子4選である。この先、留学でアメリカに行く人も多かろう。その時、ぜひアメリカのお菓子事情にも触れてきていただきたい。WalmartやKrogerに行って、様々なお菓子を買って食べて、時には甘く、時には苦い思い出を作ってほしい。そしてもし可能であるならば、この執筆者の私に、ライフセイバーミント味の緑色を買ってきてほしい。切に願っている。