ひうい譚

「あなたのキスはdurational? それともpunctual?」

「動物に生まれ変われるとしたら何になりたいですか。」

「好きな食べ物は何ですか。」から始まるConversasion-Starter(実際に面白いConversasionをstartさせる可能性は低い)というものは日本に多く存在しており、その種類は実に多様である。その中で他のConversasion-Starterと同じくらいどうでもいいものとして、上記の「動物に生まれ変われるとしたら何になりたいですか。」というのがある。少し変形して、「自分を動物に例えると何ですか。」という質問もあって、これは就職活動の場面でも用いられることがあるほど、Conversasion-Starterの中でもS級ランクで有名だ。

しかし、この実にtrivialな問いかけを恋愛と絡めて"いい感じ"にした曲が存在する。それがaiko「鳩になりたい」だ。今回はこの曲を聴いて思ったことを淡々と描いていくレビュー系の記事にしていきたい。

 

さて、歌詞の細部を語る前にまずはこの曲の大まかな概要を説明せねばなるまい。この曲はaikoのメジャー通算4枚目のアルバム「秋 そばにいるよ」の5曲目に収録されているものだ。本当は歌詞全体を貼り付けてあれやこれやと精読していきたい所存なのだが、それをすると文字の量がterm paper並みになってしまい時間も労力も空費してしまいかねない。故にとりあえず大雑把にまとめると、「遠くにいる恋人にあれこれ思いを馳せないで済むから私は動物になってしまいたい。」という内容だ。サビで歌われる部分がこの内容の要約のようになっており、そこにつなげるためのAメロというような組み立てになっている。この記事では主にAメロの内容を書いていく。この大枠を頭に入れて読み進めていだたきたい。

まず一番のAメロから

誰にも怒られなくて

眠りたいときに時間を忘れて

周りに気を遣う事なく

大空を羽ばたく

あたしはそんな鳩になりたい

なるほどごもっともなことをいっている。まだAメロであるから、恋人の影をちらつかせていない。とにかく人間の嫌な部分から解放されたいという趣旨の歌詞なのは一目でお分かりいただけよう。ただ、唯一問題があるとすれば、「鳩は本当に誰にも怒られず好きなだけ眠れて周りに気を遣う必要がなく大空を羽ばたける動物なのか?」ということである。aikoの鳩の了解の仕方は、我々一般の人間の鳩の了解の仕方とそう大差ないように思える。たしかに鳩は誰にも怒られなさそうで周りに気を遣わずetc...というようなことは当たり前のことのように考えられる。しかしそれは本当にそうなのだろうか。これはヒトがヒトという種別にとどまっている以上絶対に判別できない問いかけなのだ。怒りというのはまだ分かりやすい方で、例えばくちばしでずんずんやりながらなにか激しくバサバサと羽をやられたら「ああ怒ってるのかな」とこちらも考えることができるが。「気を遣う」ことに関しては鳩が鳩に、もしくは鳩が別種の動物に「気を遣っている」とわかるようなサインがないように思える。仮に人間の言葉が通じるとして、鳩に向かって「はぁ、アンタはいいよね。誰にも怒られずに好きなだけ眠れて周りに気を遣わずに大空を羽ばたけるんだし。」と言った時、鳩は「まあその通りだな。」と落ち着くだろうか。「いやいや待て待て、我々にもこのような場合があって...」というように話をしだしそうな気がしないだろうか。結局、人間の目から見てそう見えているだけであって、実際は違う、ということになりそうである。そして人類はその「実際は違う」を解明する術を持たない。これは、「他の人間がどのように(物理的な)痛みを感じているのかをそのまま同じように自分が体験することができない」ということに似通っている(cf. 「戻れない明日 (aiko)」)。所詮自分のものさしでしが出来事をはかることができないということなのである。

ここまでは全ての鳩が「誰にも怒られず好きなだけ眠れて周りに気を遣う必要がなく大空を羽ばたける動物」であると解釈して話を進めてきたが。実はもう一つの解釈がある。それは「鳩の中でもいろいろな鳩がいて、怒られたり気を使ったりする鳩もいるが、私はそうでない鳩、つまり鳩の中でも誰にも怒られず好きなだけ眠れて周りに気を遣う必要がなく大空を羽ばたける鳩になりたい」ということだ。まあ歌の趣旨からしてこちらではない可能性が極めて高いのは承知のほどなんですけども...。まあ日本語で難しいのは最終行の「そんな」という表現ですね。このそんなが「誰にも怒られず好きなだけ眠れて周りに気を遣う必要がなく大空を羽ばたける動物である鳩」のことなのか、「(怒られたり気を使ったりする鳩もいるが)誰にも怒られず好きなだけ眠れて周りに気を遣う必要がなく大空を羽ばたける鳩」の方なのか、どちらを指すかということですね。しかし後者なのであれば、「それってもう鳩じゃなくてもほかの動物でいいじゃん...」となってしまい終了。そしてここで問題なのはこの歌詞を英訳してかつコンマを用いて英訳する場合(そんな場合がどこにある)、制限用法か非制限用法かを使い分けなければいけないということだ。もしも「鳩 that V.」で歌詞を表現しようとするならば、前者の意味の場合は「鳩, that V.」とし、後者の場合は「鳩 that V.」としなければならない。

1番のAメロだけですでに2000字を超えているので次に進もうと思う。その次のメロディの歌詞はこうだ。

明日の服 明日の靴

明日の鞄 明日の髪型

何も考えなくて

いくなるような

あたしはそんな虎になりたい

初めに断っておくが、なぜ(わたしではなく)「あたし」なのか、なぜ(よくないではなく)「いくない」なのかは、後日また考えて記事にしたいのは今回そこは目をつむりたい。

さて、虎も虎で明日の髪型など考えることに苦労しているかもしれないというような議論はさきほどすましたのでそこは省いて、次に言いたいことと言えば、「いや虎でもいいんかい」ということだ。まさか本当に鳩じゃなくても良かったとは。ここで虎出す意味ある?普通にもっかい鳩でもよくない?しかも曲名「鳩になりたい」でしょ、最後まで鳩でいったれよかわいそうでしょ。しかも虎て。鳩から虎て急に規模でかなりすぎやろ。サイズも違うし鳥類ていう枠組みから外れたし肉食やしイメージも違いすぎちゃういけてる?。

とにかく鳩が泣きそうになっているのである。

次に行く。この次にサビを歌った後、もう一度同じメロディの2番があるのだが、そこがもう大問題なのである。

「この子はわがままなんだから

甘やかしちゃダメよ」

分かり合う前に決めつけられるなんて

だったら僕は今すぐにでも

なまずになりたい

いやなまずて何。急すぎて私の脳のシナプスが激しく燃え飛び散って花火になって夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろしている。さっきで食物連鎖の上位に食い込んだと思ったら急転直下の陥落ですわ。aikoにとって人間が「人と分かり合う前にその人がどんな人なのか決めつけてしまう存在」であれば、その対極にいるのはなまずなのか。これもうわかんねえな。

 

以上で解説(?)を終わりたい。やはりaikoの頭の中は今の私が理解するには難しすぎた。この曲は初期のaikoの頭の中を覗くのに最適な曲なのである。2002年発売のこの曲でこの有様なのだから、今はもちろんさらに進化を遂げているに違いない。

ちなみに私が動物になれるとしたら何になりたいかというと、「ナイアガラの滝にいるカモメ」である。ただのカモメではだめで、ナイアガラの滝に生息しているものに限る。その理由は至極単純で、要するに何不自由なく暮らしているように見えるからだ。何年か前、まだ私がアメリカにいた頃、家族でナイアガラの滝に旅行に行ったことがあった。その時はナイアガラの滝つぼツアーみたいなのがあって、一人一人にレインコートが配られ、船に乗ってナイアガラの滝つぼまで行けるという代物だった。実際に滝つぼからみたナイアガラの滝の景色はもうよく覚えてないが(とにかく水しぶきで真っ白だったような記憶がある)、私が注目したのはナイアガラの滝の水が流れていない崖の部分に巣食うカモメたちであった。崖にぼこぼこと穴が開いていて、たくさんの大人のカモメや子供のカモメがちょんちょんと立っている。あそこは観光地なので、きっと開発などで巣が脅かされることもなく、またエサは滝からとってくればよいため非常にのびのびと暮らしていける。そういうふうに私の目には映ったのである。実際カモメも大変なんだろうが、私の目にはとても有意義な暮らしを営んでいるように見えた。

 

というか、私のなりたいものがカモメ(鳥類)で、aikoのなりたいものが鳩(鳥類)ということは、結局aikoはなかなかもっともなことを歌っているのかもしれない。

 そして、第二段落に書いた「淡々と描いていくレビュー系の記事にしていきたい。」とは何だったのか。