ひうい譚

「あなたのキスはdurational? それともpunctual?」

最近の人類は「指折り」数えているのか

変わらない街並み

あそこのボーリング場

焦っていたのは自分で

煮詰まってみたり

怖がってみたり

つないだ手を離したくない

指折り数えた

芽吹いた日々と二人の

帰り道

やはりいつ聴いてもaikoの「三国駅」は心が洗われるような気分にさせてくれる。

シングルとしても発売され、さらにアルバム「夢の中のまっすぐな道」及び「まとめII」に収録されている曲で、題名の「三国駅」とはまさしく阪急宝塚線にある三国駅のことらしく、私の自宅から一本で行けるという近場だ。なぜ三国駅が描かれているか、詳しい解説は三国駅 (aikoの曲) - Wikipedia などを参照していただきたい。

 

さて、今回取り上げたいのはこの「三国駅」にも登場している日本語における定型表現、「指折り数える」である。

 

みなさん、最近指折り数えているだろうか。何か楽しいことが迫っているときに使われる表現で、その楽しい出来事を楽しみに待っている様子が含意されているといえると思うが、さて、実際に人間はこういう物を数える場合に「指折り」数えるのか、ということを問題視したい。なぜなら、私は「指折り」数えないからだ。今回は、この「指折り」数える動作を「残り日数を数える」といった場合に限定せず、単に「物を数える」場合と一般化して論じていく。

事の発端は英語の授業の授業中であった。その授業は、クラスが4人ごとのグループに分けられ、その4人で1つのトピックについて賛成か反対かを2vs2で論じるという形式で行われている。そして、賛成側も反対側も、それぞれ3つの根拠を述べなければならない。賛成側だった私は3つの根拠をかき集め、同じく賛成側のパートナーの女の子に声をかけて、根拠をメモしたノートのページを指さしながら「これで1つ、これで2つ、これで3つ、でいけるよね?」というように聞いたわけであるが、指さしているもう片方の手で数を数えていた。根拠が3つ揃っていることを確認、提示するためにだ。そして、その数え方は「指折り」数える数え方ではなかったのである。私のやり方はこうだ。

  1. 手をグーにする。
  2. 「ひとつ」と数える場合に、小指を立てる。
  3. 「ふたつ」と数える場合に、小指と薬指を立てる。
  4. and so on...

手と指を用いる場合、このようにして私はものを数える。これを「指立て方式」における「小指先立て方式」と呼ぶ。しかし、パートナーの女の子は私に向かって言うのです。「え......小指から......wwwww」(ちょっと馬鹿にしている)だから私は聞き返したのです。「あなたはどうやって数えるの?」するとその女の子は言うのです。

  1. 手をグーにする。
  2. 「ひとつ」と数える場合に、人差し指を立てる。
  3. 「ふたつ」と数える場合に、人差し指と中指を立てる。
  4. and so on...

こちらを「人差し指先立て方式」としよう。なるほどなるほど。みなさん納得されたかもしれないが、ちょっとまっていただきたい。なぜなら、私は、この指を用いる物の数え方において、自分のやり方(小指先立て方式)が最適であると確固たる自信を持っているからである(また何かおかしなことを言いだしたと思った人も読み進めていただきたい)。つまり、ほかのやり方ではどこかしらに矛盾や欠陥が生じてくるということを承知しているがために私は自分のやり方を選んでいるのであり、そこにはきちんとしたロジックが成り立っているのだ。次の段落を読む前に、もう一度私の提案するやり方の手順を再読し、自分の手で確かめていただきたい。

さて、私のやり方が一番いい理由はなにか。手にかかる負担が最小限であるということだ。これが理由の8割~9割を占めていると言っていいだろう。小指から立てていくとスムーズに、(特殊な場合を除いて)指で数えられる最高数である5までを数えることができるのである。何度数えても手が痛くなったりすることのない、いわば理想的な指の使い方なのだ。そして第2に(というかほぼおまけみたいなものであるが)視覚的に理にかなっているということである。これは、後述の人差し指から立てていく数え方がなぜ最善と言えないかということに関わる話で触れていく。

ではなぜ、人差し指から数えるのが最善でないのか。手に負担がかかるのである。実践してみてほしい。そして感じよ。3の数えにくさを。3を数えようとしたとき、親指が必死になって小指を抑えなければ、3の状態を維持することができないのである。人体構造の学問にあかるくないのでなぜこうなるのか詳しく説明することは私はできないが、指を立てる時、人差し指が先立っていれば小指はそれをfollowしようとするのである。試しに親指を小指からはずしてみると辛いのがわかる。ここに、この人差し指先立て方式の欠陥があるのだ。そして不思議なことに、私のやり方の小指先立て方式では薬指が曲がっていても小指は(多少動くものの)曲がろうとしないし、何より親指が薬指を抑える必要もないのである。また、これにはもう一つ問題があって、視覚的に理にかなっていないということだ。小指先立て方式では、指の増え方が右側か左側から始まって、同じ方向で5まで増え続けるのに対し、人差し指先立て方式の場合、4から5に移行する時、唐突に全く逆方向から指が増えるのである。これはおかしい。たぶんチンパンジーとかに見せたら混乱すると思いますよこの数え方は。チンパンジー側も「あいや急にそっち!?急にそっちから指立ててくるやん!?!?」てびっくりすると思います。ちなみに似たような理由で親指先立て方式も却下(4が人差し指先立て方式と同様に数えにくいため。ただし、こちらは人差し指先立て方式と違い視覚的には理にかなっている)。 

満を持して「指折り方式」の登場である。これは実際に前述の授業で、別の女の子が提案したやり方であり、つまるところ「最初がパーではじまり、親指から折っていく」という方式だ。一見、指に負担をかけず、視覚的に理にかなっているようにも見えるこのやり方のどこに問題があるのだろうか。それはずばり、一般性から離れているということだ。ここからは推論になるが、今日の日本では、一般的に人はものを数える時に「指立て方式」を用いているのである。「指立て方式」の中でどれを先に立てるかというのが人それぞれなのであって、基本的に「指立て方式」が主軸となっている現在ではそれが「一般」と呼ばれて問題はなかろう。そのような社会で「指折り方式」を用いると、人々は何を思うか。そう、「いやそれ1やなくて4やん」と思うのである。つまり、「指折り方式」のにおける1の形が、「指立て方式」の「小指先立て方式」「人差し指先立て方式」における4の形と同じであるから、結果的に混同されてしまうのである。そしてこれが「指折り方式」の抱える問題なのである。

 

以上が、私の提唱する「指立て方式」「小指先立て方式」が最善であるとする理由である。お分かりいただけただろうか。

この平成も終わる現代の日本で、「指折り方式」を採用している日本人はいったいどれほどいるのだろうか。これは国や年齢によって差が出るのだろうか。そして何人の人間が「指立て方式」「小指先立て方式」が最善であるということに気付いているのだろうか。なかなか気になる部分が多い事柄である。研究してみたい人はぜひとも研究されたし。そしてそれで儲けた日には私にその儲けの1割を贈呈されたし。