ひうい譚

「あなたのキスはdurational? それともpunctual?」

今日も修飾語句が泣く。

まずはこの例文を見てほしい。

I wrote her a letter. (SVO1O2)

I wrote a letter to her. (SVO)

一目見てわかるようにここには五文型の明確な"おかしさ"たるものが潜んでいるのである。「彼女に(彼女へ)」という部分は文意において不可欠なはずなのに、2つ目の文では、文型という箱庭からそれが脱落してしまっているのだ。

この状況があるものを深く悲しませていることをこのブログの読者様は知っているだろうか。それは「to her」である。私には静かに声をたてぬよう、すすり泣くto herの声がはっきりと聞こえているのだ。私はこのto herを慰めてやりたい。to herを救ってやりたいのだ。

 

to herは、1つ目の例文では、herとして、V君の紛れもないパートナーだったからである。それは文型においてもO1という形で明確に表れているのだ。きっとherは大学生くらいで、入学してVと出会い、同じサークルに入り、だんだんと惹かれるようになって、ある日勇気を出して、Vを街のオシャレな店のディナーにでも誘ったに違いない。慣れないシャンペンでも飲みながら、少し前から好きだったVの顔を間近で見れることに少しの感動を覚えて首を垂れたりしたのだろう。アルコールが脳内を犯し始めた頃、herはVに告白をして、同じくアルコールに少し顔を火照らせたVはその告白を承諾したのだった。二人は晴れて付き合うことになったのである。

しかし事はそれで終わらないのである。

次の日から、いやもしかすると付き合う前からだったかもしれないが、Vは時にパートナーO1としてのherをto herにして、外野扱いするのだ。そしてa letterなどという他の女を間にはさんで、 herという本妻を側室においやり、「あなたは今は文型という世界の蚊帳の外なのよ」と、herはa letterから挑発を受けることになる。ここにherが悲しむ理由があるのだ。せっかく彼氏になった彼が、自分の方を向いてくれない、余所見ばかりしている男だからである。だからto herは切ない。to herは今日も泣く。wroteと付き合うherも、giveと付き合うherも、tellと付き合うherも、皆to herになって泣く。夜中に自室でスマホを握りしめながらその画面を曇らせるのである。to herは悲しい。

 

しかし事はこれで終わりではない。to herはもう一度herになるために、努力を始めることを決意するのである。もう一度のあの人の本命になりたいと願って。たくさんおしゃれをして、Vにもう一度近づこうとするのだ。関係代名詞を頬にぬり、前置詞を唇にさす、副詞句を耳にぶら下げて。「私大人になったよ」と。そしてherは背伸びをして立派な名詞句となろうとしたのだ。もう一度Vを振り向かせるために。そして自分に釘付けにさせるために。そして彼女は生まれ変わったのだ。

I wrote a lady who I met at the party last night in Washington a letter.

to herは"a lady who I met at the party last night in Washington."に生まれ変わったのだ。

 

しかしwroteは全く動じなかった。なぜか。herが長い句となってくれたおかげで、確実に文型の外に追いやることが可能になったからだ。(これは私の単なる推測であり何かの文法書から引用したとかではないが)本来herのようなO1に来る語は、短くなければSVO1O2のO1になりにくい。このO1が上記のように長くなると、文全体として読みにくくなりやさしくない。次のような文が自然だ。

I wrote a letter to a lady who I met at the party last night in Washington.

煌びやかに着飾ったherはどうなってしまったのか。herはその煌びやかさ、美しさ故に、a letterにその座を奪われまたもやM(modifier)になり下がってしまったのである。この時herは思うだろう。「あなたそんなa letterみたいな地味な子が好きだったのね。」herは二度目の敗北を喫することになる。ここでherの完全敗北が決定したのだった。

 

別の世界線の話をしよう。もしherがそのままの姿でSVO1O2のO1として、O2にVを奪われなかったとする。このままO1はVと幸せに過ごせるのか。そんなはずはないのである。ここでみなさん手元にあるオーレックス英和辞典でgiveの項を開いてほしい。そして語順についての用例解説の部分に目を通していただきたい。

オーレックス英和辞典ではこう書かれている。

2つの目的語が共に人称代名詞の場合はtoを使った"He gave it to her."のような形が普通。

つまり、herはherのままでいても、時にその座をitという何の飾りっけもない女に奪われることがあるということである。付き合っていたはずのVの隣に急にitが現れてくる、そしてVは「あーこれ幼馴染で彼女のitね。この間のことは、お互いお酒が入ってたしさ。」と言って関係をなかったことにしてくるのである。どう努力しても、herがずっとVの本命でいることは、不可能なのだ。とても悲しい。

だからこそ、みなさまにお願いしたい。もし教室の隅でto herが暗い顔して泣いていたら、そっとその肩を抱き、慰めてほしいのです。なぜならそのto herは失恋して深い傷を負ったMだからなのです。そしていつも英文を読むときに感じてほしい、ああこのMは本命になれなかった、かわいそうなMなんだなと、共感してあげてほしいのです。

 

余談

今回のお話は、池上嘉彦氏の著書「<英文法>を考える」を参考にして書きました。この本では、五文型は時代遅れで、七文型とする方が首尾一貫性があるというようなことが最初に書いてあります。七文型というのは、SV, SVC, SVA, SVO, SVOO, SVOC, SVOAというもの。Aはadverbialsでいわゆる副詞的修飾語句。ジーニアス英和辞典の表記を借りるとM(modifier)ということになります。これを用いれば、to herが文型の世界から漏れることもないことがよくわかります。この本で池上氏は様々な例文を用いて五文型の"おかしさ"を描いています。それ以外にも能動態の文はいつでも受動態にできるかなど、様々な英文法を解説してくれています。もし興味があればぜひ一度読んでみてください。